常識を疑うことも時には大切 自分が幸福になれないなら立ち止まって一度考えるべき
お金を貰っているのだから仕事は頑張るべき
よくこういう常識を口にする人を見かけます。
私はこの常識を疑っています。
私から見て、会社の先輩に仕事がよくできる人が多くいます。
普通なら人が気付かないことにも機転が利きチームの主力となって働いています。
責任感も強く皆から頼りにされています。
しかし、そんな仕事ができる先輩は決まって辛そうな顔をしています。
私は仕事を頑張らなくていいと思っているわけではありません。
しかし、何のために仕事を頑張るのかもっとしっかりとした理由を自分の中に見つけるべきだと考えています。
しっかりとした理由とは何か?
それはどうして仕事を頑張るのかお金以外に見つけることです。
理由なんて自分が納得できるなら何でもいいのです。
確かに現代はお金が無くては生活をしていくことが困難な時代です。
しかし、人間は本来幸福な人生を送るために生まれてきているはずなのです。
何も仕事によって不幸になるために生まれてきたわけではありません。
仕事で心身ともにズタボロになるくらいなら私はいつでも仕事をやめてやろうといつも腹をくくっています。
誰にだって自分を大切にして欲しいと願ってくれる人はいるものです。
自分を大切にすることは悪い事じゃない
私が人から教えて頂いた言葉に「自分が満たされていないと本当の意味で誰かに貢献することはできない」というものがあります。
私はこの言葉を聞いた時にすぐに意味を理解することはできませんでした。
その方いわく、貧しい国で生活する人が奪い合うのは自分が満たされていないから。
ここまで聞いて初めて意味を理解することが出来ました。
自分が腹ペコなのにたった一つしか無いパンを誰かにあげることが出来るでしょうか?
私なら不可能です。
絶対に自分で食べてしまいます。
しかし、お腹がいっぱいでなおかつパンを100個持っているとしましょう。
誰でも1個くらいあげてもいいと思うのではないでしょうか?
このように自分が満たされていれば絶対に誰かに貢献することができるのです。
まとめ
もしも自分をあまり大切にできていないと感じる方がいらっしゃるなら一度自分を大切にする事を心がけてもいいかもしれません。
そして自分自身を十分に満たした後に再び誰かのために頑張ってもいいのです。
たまにはこのような常識を疑い自分の負担を軽くして生きることも大切なのです。
おしまい